計算機科学の終焉 https://note.com/ipsj/n/n5452212e0dbf
なんだろうなと思ったら、和田先生のコラムだった。
20年以上前に会社の先輩とやっていたSICP読書会に何度か翻訳者の和田先生が来てくれた思い出がある。
僕は、高校生のときに趣味でテレビゲームを作っていて、大学ではコンピューターの勉強がしたいとぼんやり思っていたが、周囲の大人は誰一人僕のそんな可能性を信じてはくれず、計算機科学を一度たりとも学ぶことがないままに、野生のプログラマーになってしまった。コンピューターがやけに得意なので順調なプログラマー人生なのだが、計算機科学を勉強できていたらもっと良い感じになっていたし、大学に行っていたら、もっとコネとか持てたんじゃないか、という気はしているが、起きなかったことを悔んでも仕方がない。
学生時代は本当はネットワークエンジニアになりたいと思っていて、だけどインターネットプロバイダのアルバイトに応募しても不採用だったので、結局は趣味のプログラミングの延長で職業もプログラマーになってしまった。プログラミングは得意なんだけど、自分が学びたいとか、やりたいとか、そういう願いは悉く退けられたあとのプログラマーだったなあ。
誰にも期待されていなかったけど、実は得意なので、それで仕事としては全然困らないという、なんだか変なことになって今に至っている。。。
しかし、業務アプリという脳味噌全然使わない類の仕事なのも僕にはとても都合がいい。四則演算できればできる仕事というか。それなのに需要はあるし。大事なのはいつまでもメンテ可能なコードを書くということで、それはSICPを読んだことが何よりも役に立っている。
ふと思ったけど、この信じてもらえない、実際にはできるんだけど、できると思ってもらえない、という現象は十代のころから今に至るまでずっと続いているなあ。今の自分の会社でも、うちの会社があんまりにも零細なので、良いシステムが作れるとは思ってもらえない、なんというか社会的信用度がとても低いのだ。しかし、やらせてもらえたら、あら不思議、良いシステムが出来てしまうわけで、会社を経営していて、僕は常に感じているのは、どうやって信じてもらえるか、信じてもらえないから、新しい仕事はなかなか得ることができない、というわけ。プログラミングとかソフトウェアの設計が上手とか、そういう実力は全然関係なくて、とにかく信用がない、ということに尽きる。
食べすぎで苦しい。
今日はついに着たかった綿のTシャツを着ることができた。
まだ昼間は暑くて汗をかいてしまったが、それでもこのくらいの気温だと綿のTシャツが着れる。
なんか秋が超特急で過ぎて、冬が来そうな感じだが、今しか綿のTシャツを着れるチャンスはない。
好きな絵が描いてある服は、いままでは綿のTシャツだったけど、もう夏には着れないので、パーカーにして冬に着るほうがいい、そんな気がする。
ところで、化物語シリーズのアニメをひたすら観ているのだが、すごく好きなので正直いってブルーレイボックスとか欲しいくらいだ。
しかし、ブルーレイは十数年で劣化して再生できなくなるのを実体験済みなのでもう買う気がしない、そして再生機ももうすぐ無くなりそう。そんなわけで、ネット配信で見るしかない、何十年かあとに昔のアニメが観れたらいいなあ、そういう未来があったらいいなと思った。