休みの日って最高だ! 僕にはそんな日は本当に滅多にないのですごくうれしい。
先日からの属人化の話。
属人化=悪と言われがちだが、必ずしもそうではないと、いつも一人で仕事をしている僕は思う。
なにせ一人で仕事をしているわけだから、なにをやっても属人化と言われてしまうからね。
まず、本当は他人でもできることなのにそれを隠して一人で仕事を独占している、これは悪いと言われても仕方がない。
そうではなくて、一人で仕事をすること=属人化=悪なのかという話。
属人化は悪で、それは常に組織化して代替可能にしなさい、というのがよく言われることだと思うんだけど、僕はそれはあくまで人もお金も余っている組織での話だと思う。
中小零細企業なんかだとお金も人も足りないのが当たり前だ。
そして、ITのシステム開発について、一人で作るのと三人とか四人とかもっと多くで作るのだと、かかる費用が全然違う、人数が多いほど無駄にお金がかかる、それは単に人件費の話だ。
一人でシステムを作れる人も、四人でしかシステムを作れない人も、一人一人のもらう給料なんてたいして違いはない。できる人もそこそこの人もできない人も、全員似たような給料をもらっているのが日本である。仕事が10倍できるから給料も10倍ではないのだ。
なので、組織化された体制でシステムを作ってもらうと、単に一人で作れる人が作るよりも人数が多い分だけ何倍かお金がかかる。そして、出来上がるものの品質はその分だけ高いわけではなく、現実には却って品質が低かったりする、残念。
そしてシステムの寿命の話、どうして世の中のシステムは3年とか5年で使いものにならなくなるかというと、まず作りが悪いので拡張しづらいこと、そして最初に作った人がいなくなっちゃうのであとから来た人が上手に改造できないことが理由にあると思う。組織化されていたところで、組織の中の人が変わっちゃうから、正直あんまり意味がないのだ。
そこで、人もお金も余っている組織の場合、それでも問題はない、新しいシステムを作ればいいだけなのだ、なにせ余力があるんだから、全然平気だ。なんならそういうのが好きで時々やりたいと思っていることもあると思う。平気で何十億円も使えるわけだ。
しかし、余力がない組織の場合、これは困る。使えないシステムを我慢して使い続けるしかないし、あとは限界に達したところで仕方がなく新しいものを作ることになるが、別にそれをやりたいわけじゃない。無駄にできる一億円があるわけじゃない。
で、僕みたいに一人で全部の役割をこなして作る場合に僕が安く売る気があるわけじゃなくて僕の給料は人よりもちょっと高かったとしても結果的に安上がりになり、僕はいつまでもいなくならずにメンテし拡張する気があるので長く使えるというものは属人化ではあっても、余力がない組織にとっては都合がいいんじゃないか、属人化を廃して組織化するよりも恩恵が多いんじゃないのかと思っている。
で、それがじゃあAIならどうなんだと考えると、今のところ僕はAIでどうにかなる気がしていない、というのはAIには一貫性がないからだ。でも人間には一貫性が必要だ。システムが改修のたびに毎回似たような別物に変身したら使う人間には辛い。AIは例えていうなら東大卒の経歴をもっている点は共通だけど毎回別人が来るタイミーさんみたいなもんで、毎回別人なので一貫性がない。だから、長く使うシステムをメンテするのは向いていないと思う。もしも一貫性が保てるようなら便利だと思う。いまのところAIはサイバー攻撃は大の得意なんだけど、あれは逆に一貫性がないほうが有利なんだろう。それになんでもそうだが、作って保つよりも無責任に破壊するほうが簡単だ。
一点補足。僕がいうAIは東大卒だけど毎回別人のタイミーさんというのは記憶がないというだけの意味じゃなくて、別人という意味。多次元空間の全然別の点にいるよってこと。僕は人間だから一貫性があり、例え2026年の全ての記憶を失なったとしても、僕の仕事の仕方にはあまり違いはなく、一年間の記憶を全て失なったあとに、2026年にやった仕事をやり直しても、似たような結果を生むことになる。しかし、AIにはそういうことは起きない。全然違う出力になるという意味。
で、話を元に戻すと、余力のない組織が良いシステムを手に入れてそれを長く使い続けたいと思えば、それを実現するには僕が言うやり方以外にはないんじゃないかと思っている。
この本を読んでいる、あっという間に読める。
「なぜ」と聞かない質問術
https://www.diamond.co.jp/book/9784478120781.html
結構この本の作者さんの態度には共感というか、20年かけて気がついたこととか、僕もちょっとした基本的なことに気がつくのに15年とか40年とかかかっているので、この質問術に出会うのに20年かかったというのは親しみを感じた。
あとはね、事実に基づいた話っていうのがいいな、それは僕の仕事のやり方もそうで、事実を追求するので、似ているなと勝手に思った。
で、例えば、僕が新しいアイディアとか試しに作ってみたものをみせたときに、どう思いますか、と聞くのはこの本の質問術としてはダメなんだけど、でも相手の考えを述べてもらうんだから、考えさせる質問になっちゃうのはどうしようもないからこれはいいのかな。でもご意見くださいっていえば質問になっていないからいいんだろうか。というか、その場でみせて、すぐにご意見を、なんていうのがだめで、こんど教えてね、でしばらく放置がいいんだろう。
ちいかわの映画をみたいと思ってもう一ヶ月以上経っているに違いない。いいかげんみにいきたい。
昨日の話の続き、自分の作るソフトウェアがたまたま珍しい種類(ある種の真似しづらい高品質)のものになってしまう場合に、それが原因で商売がやりづらいということはある、僕の場合はそれの呪いにずっと困っているとも言える。もし自分が普通のものしか作れないのだったら、やはり普通のものしか作れない人たちを雇って普通の商売ができていただろうと想像する。自分の作るものが珍しいものになっちゃう場合には組織化することができなくなっちゃうのよね。それと同時にもし自分の会社が自分のものだったら、自分のやり方を社員に教え込んで同じようにやらせるという方法もあるかもしれないのだが、あいにく僕は単なる他人の会社の雇われ社長でしかないので、勝手に自分のやり方を強制させることもできないし、そもそもね、すでに経験を積んだ中途採用の人にやり方を真似させることなんてできないのよね。たまたま自分の仕事のやり方が自然とこうなったというだけで、それは僕の所属する組織のものでは全くなくて、単に僕の個人技でしかないのであった。
しかし、ちいかわの映画、全席売り切れてんじゃん。どうなってんだ、せっかく僕が明日は時間があるというのに。
僕の仕事は20年間拡張し使い続けることができる統合基幹業務システムを作ることなのだが、これは世間一般からするとちょっと普通ではないということになる、僕にとっては普通のことなんだが。
で、そんなシステムを作れる人は残念なことにあまりいないので、僕しか作れないっぽい感じになってしまうのだが、それは属人化であって悪いことなので誰にでもできるようにすべき、とは僕は思わない。
そりゃ誰にでもできるようにできたらいいと思うんだけど、普通はできないんだからしょうがない。誰にでもできないことが僕にはできることについて、僕に責任はないのだ。それにどうやってもできないもんはできないんだから仕方がない。かといって、じゃあ何度拡張しても矛盾が生じないシステムなんてものを作るのが悪いのかといえば、別にそうではないだろう、いつまでも使い続けられる矛盾がないそれはいいものなのだ。
なので、属人化=悪とはみなさずに、限られた数十年の期間だけであっても、その間は得したんだからいいじゃないか、で、そのあとは普通に戻ってしまうけれども、そのときに良いお手本としてその旧システムがあるんだから、作者の僕がいなくなったあとは、そのお手本を参考にして、そこそこ良いものをみんなで新たに作れば、何もお手本がないよりもずっといいものが作れるんだから、それでいいんじゃないかと思った。
そんで、じゃあ僕がそういうことができるのはなんでかというと、おそらく才能と生活習慣の両方が原因だと思う。なので、業務時間中だけで他人が真似できることではないし、そもそも僕は別に誰かに習ったわけでも本で勉強したわけでもなく、自分にとっては普通にソフトウェアを作るとそうなるというだけのことなので、勝手にできるからやっているだけなのだ。
ここ数ヶ月腰の調子が悪すぎたのだが、前に買ったのにちゃんと読んでいなかった本を読んで、そこに書いてある1分ほぐし運動をしたら、その日の夜から腰の調子がよくなったのでビックリ。大変ありがたい。
『運動を頑張らなくても腰痛 坐骨神経痛がみるみるよくなる1分ほぐし大全』
https://bunkyosha.com/books/9784866518039
なので、この運動を毎日やることにした。