雑用をこなしながら生成AIについて考えていたのだが、生成AIは非定型業務ができないんだよな。高度な知識があり定型業務は得意だ。
僕の仕事の場合には、高度な知識は不要で、しかし非定型業務である、要は洞察力がいる。だいたい僕の知識は中学生レベルだし、中学生に勉強を教えるのも自信はない。。。
ビジネスや商品の表面的なところから、その真の姿を見て、その構造をコードに落とす、これが僕の仕事。だから、コードを書く前の段階が一番大事で、構造を正しく見ることができなかったら、どんなにコードを上手に書いたところで意味がない。
行き先を間違えているタクシーがどんなに上手に車を運転しても意味がないわけだ。
なので、生成AIに期待するのは、早く洞察力を身に付けて、非定型業務ができるようになること。
で、その一番大事なコードを書く前の段階はコードになっていないので、githubをどんなにクローリングしても意味はない。そもそも非定型業務だから学習データをコピペするだけじゃできるようにならない。
AI研究者の人たちには頑張ってほしい。
あとは、最近の日経の記事にあったグラフを見て思ったのだが、AIを使う国と使わない国で生産性が雲泥の差になるよという図で、これってプログラマーと非プログラマーの違いと同じというか、実際に同じことを言っているよなと思った。
要はコンピューターを使うか使わないかの違いだ。たまに事務的な処理を手伝ったりするときに、僕はちょっとしたスクリプトを書いてその仕事を片付けるので、プログラムを書けないので手作業でやっている人よりも百倍や千倍の早さで終わる。それはコンピューターを操っているからなわけで、AIっていうのも結局同じこと。AIもAIっていう皮を被っているけれど、その中身はコンピューターなわけで、コンピューターを真に操れるのが今まではプログラマーだけだったわけだが、AIという便利なインターフェースを通して非プログラマーでもコンピューターをだいぶ操りやすくなった、というのが今のAIブームだと思う。なので、AIを使う使わないというのは、プログラマーと非プログラマーの差と同じ差が出ることになる。そして、AIというインターフェースを使うとプログラマーはもっとコンピューターを操りやすくなるので、プログラマーの生産性はもっと高くなるというのが現状だろうな。
AIが非定型業務をできるようになったら、僕はサブスクでアニメをたくさん一気見して、ビデオゲームをいっぱいやりたいと思う。
しかし、この僕みたいな知識もない奴が勘だけでなんとかなっちゃうというのが先日の計算機科学の終焉ということなんだろうな。他の分野ではこうはいかないと思うが、ITの世界は強力な抽象化のおかげでこんなことが可能になってしまっている。ありがたいことだ。